左甚五郎

落語のねずみや日光の眠り猫で有名な「左甚五郎」の記事が掲載されておりました。
「左甚五郎」の本は少なく、Wikipediaでもかなりぼんやりと紹介されています。
今回知ったのですが、祇園祭りで使われている「鯉山」なる木魚はとても立派な
もので、これも「左甚五郎作」となっているようです。
この鯉山は、

鯉が激流を登る(中国の故事)

登龍門(龍門に登る)

から派生して、「鯉の滝登り」、「鯉のぼり」、「龍門の滝」などで広まっていったとの
ことですが、よくある鯉の滝登りの掛け軸よりも迫力があってすばらしい彫刻です。
左甚五郎についてはまた時間があるときに調べてみようと思います。

(参考)
2019年10月23日 朝日新聞
極彩色の彫刻群に圧巻のカマキリ 石清水八幡宮、公開へ
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190927002461.html

鯉山 京都祇園祭
http://www.koiyama.com/

​歌丸さんDVD & 三遊亭円朝全集と青空文庫

久しぶりに図書館の落語コーナーを眺めてみると いつのまにか
「語り直して 三遊亭圓朝作『怪談 真景累ヶ淵』」の歌丸さんDVDセットが並べられているのことに気づき思わず足が止まってしまいました。
最近は図書館でも、DVDメディアも定期的に新作・旧作が入れ替えられており公共施で楽しめるようになったのはありがたいことです。
また当時「横浜にぎわい座」には行くことができませんでしたので、国立演芸場で見た時のようなライブでの臨場感まではないものの気軽に映像楽しむことができるのは嬉しいかぎりです。

そういえば…と過去の図書館メモなどをひっくり返しつつ、調べてみるとKindle版だけでなく青空文庫(初版 2000年)もありました。

今はググれば瞬時に回答がでてくるので楽になったものです。

昔話はさておき、当初は落語などは速記本だったことは自分のメモにも残っていたのですが、「なぜ青空文庫に三遊亭円朝全集がアップされていたのだろう?」と思い、経緯などもすっかり忘れてしまったので改めて調べてみることにしました。
単なる著作権切れ?にしても、誰が円朝師匠の本まとめたのかとの答えは以下にまとめられており大変参考になりました。

2017/3/13 青空文庫『圓朝全集』は誰のものか 1999年6月30日作成

速記者の方々、関係者の方々のおかげで今に伝わって簡単に検索できるようになったんですね。
というわけで久しぶりに近所の図書館にも「圓朝全集」がありましたので早速借りてみます。

(参考)
明治文學全集 10 三遊亭圓朝集
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480103109/

青空文庫 三遊亭 円朝 作家別作品リスト:No.989
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person989.html#sakuhin_list_1

「真景累ケ淵」との出会い

この話との出会いは、歌丸さんが1996年~2000年の5年間をかけ、毎年8月に国立
演芸場で長編を少しずつ分けて行ったことがきっかけです。
上京した1992年以降、暇をみつけてはなんとか演芸場へ足を運んでいただのです
が、1996年に歌丸さんが演芸場で口演で初めて自分は知りました。
国立演芸場で過去8月に開催された

桂歌丸師匠の三遊亭円朝作「真景累ケ淵」
平成8年(1996)「深見新五郎」
平成9年(1997)「勘蔵の死」
平成10年(1998「お累の自害」
平成11年(1999)「湯灌場から聖天山まで」
平成12年(2000)「お熊懺悔」

1~4話までについては、聞き終わった後も迫力があって面白かったという感じ
が残ったのですが、2000年の最後には、歌丸さんが話をするのに疲れたという印
象を受けたのを覚えています。平成12の夏に行った当時、平成13年には、5年間分
の話を通しでやると予告していたので、東京にいれば聞きにいったのですがあい
にくこの年は日本にいなかったのが、少し残念だったかなと今では思います。
しかし、よくよく考えると5年間もよく通った自分もよっぽど暇だったのか?と今
では驚きの一つです。
また、この時に、必ず歌丸さんが冒頭の枕で、谷中の全生庵にお参りをするとい
う話をしていたのですが、土地観のない自分は館内の方からこの詳細について教
えていただき、全生庵での掛け軸なぞを眺めたのも楽しい思い出の一つです。
それからはじめて「東京かわら版」というものの存在も知り、なるほどちゃんと
落語好きにはこんな便利なものがあるのだと関心した記憶があります。いまでは
インターネットの普及でようやくこちらのサイトも作られたようです。

東京かわら版

ちなみに、こちらを持っていくと当日の入場料金が割引になるのですが、もっと
いいのは途中の中入りからはいると、さらに安くなるとなりチケットのところに
「中入り」のスタンプを押してくれます。
ただ、入る時間には注意しないと全料金とられるときもあります。

落語と自分

1992年に上京してから時間をみつけては、寄席にいくようにしていました。そう
はいっても、当時は、毎週通えるほど時間やお金があったわけではありませんで
したので、ぴあ情報や新聞でどうしてもいきたい時にはチケットをとっていきま
した。
桂歌丸のファンだった自分は、高校の時に学校に来てくれてからというもの、実
際の「寄席」というものに行くのが一つの楽しみでした。
もちろん実家では落語や漫談などは、テレビかラジオでしか聞いたことがなく地
下鉄の通路に寄席のポスターを見たときは非常に感激をして、ちらし(寄席のポス
ターの縮小版のようなもの)を必ず大事に保管していたものです。
特に都内で歌丸師匠が独演会を行っていた際には、国立演芸場やガスホールには
毎年欠かさずいきましたが、終了後にガスホールの裏口から帰る際に弟子が「師
匠こちらです」といって黒塗りベンツのドアを開けたときには、見た目は普通の
おじいさんでも全然違うんだなあと関心したものです。
その当時は楽太郎との二人会ということもあり、終了後に花こそは渡せませんで
したが、歌丸さんに「また来年も国立演芸場での真景累ケ淵を楽しみにしていま
す」とやっとの思いで声をかけたときに、「どうもありがとうございます」と笑っ
て答えてくれたのは嬉しかったです。
その後、なんどか帰る際にお声がけをしようと玄関先で数少ない歌丸さんのファ
ン達と待ち伏せしたことがありましたが、なかなかその後は声をかけることがで
きずにおります。
残念ながら今では笑点の司会者となってしまわれたこともあり、独演会などは少
なくなってしまいましたのが、少し寂しい気がします。