落語と自分

1992年に上京してから時間をみつけては、寄席にいくようにしていました。そう
はいっても、当時は、毎週通えるほど時間やお金があったわけではありませんで
したので、ぴあ情報や新聞でどうしてもいきたい時にはチケットをとっていきま
した。
桂歌丸のファンだった自分は、高校の時に学校に来てくれてからというもの、実
際の「寄席」というものに行くのが一つの楽しみでした。
もちろん実家では落語や漫談などは、テレビかラジオでしか聞いたことがなく地
下鉄の通路に寄席のポスターを見たときは非常に感激をして、ちらし(寄席のポス
ターの縮小版のようなもの)を必ず大事に保管していたものです。
特に都内で歌丸師匠が独演会を行っていた際には、国立演芸場やガスホールには
毎年欠かさずいきましたが、終了後にガスホールの裏口から帰る際に弟子が「師
匠こちらです」といって黒塗りベンツのドアを開けたときには、見た目は普通の
おじいさんでも全然違うんだなあと関心したものです。
その当時は楽太郎との二人会ということもあり、終了後に花こそは渡せませんで
したが、歌丸さんに「また来年も国立演芸場での真景累ケ淵を楽しみにしていま
す」とやっとの思いで声をかけたときに、「どうもありがとうございます」と笑っ
て答えてくれたのは嬉しかったです。
その後、なんどか帰る際にお声がけをしようと玄関先で数少ない歌丸さんのファ
ン達と待ち伏せしたことがありましたが、なかなかその後は声をかけることがで
きずにおります。
残念ながら今では笑点の司会者となってしまわれたこともあり、独演会などは少
なくなってしまいましたのが、少し寂しい気がします。