「生まれた日に時間を戻してもらいたい。本当の両親に育ててもらいたかった」
という60年前の苦痛認定で慰謝料命令がでたのはすごいなと思いました。
60年前の新生児取り違え、病院に賠償命令 苦痛認定
失われた時間は決して戻っては来ません。
これはまぎれもない事実ですし、声をあげるのは当然のことと思います。
ただ記者会見のなかで、
「自分も夢があった。大学にいっていればもっと違った人生になっていたかもしれない」
という点は自分はとても残念だと思いました。
この方は、定時制高校まで頑張って出られています。
でもなぜ大切な「夢」を諦めてしまったのでしょうか。
いろいろな理由で「夢」をあきらめなければいけないこともありますが、あきらめて
しまえばその時点で全て終わりです。
あきらめて死ぬ前に「後悔する」くらいなら、なぜ「トライ」してみなかったのでしょうか。
今は、60歳で引退されたかたでも大学院に通うかたや、仕事をしながらも「夢」だけは
あきらめずに頑張っている方々はたくさんいます。
失われて時間は決して戻っては来ませんが、死ぬ前に「やっぱりやっておけばよかった」
と納得できずに後悔することほど不幸せなことはありません。
世の中「お金が全て」という人もいますが、「人生の満足度」は決して買えるものでは
ありません。
ぼけてしまってわけがわからなくなってしまうよりは、「やりたいことは全部やったな」と
満足してから死にたいものです。